2013年6月24日月曜日

森の花鳥風月 001







今日も朝から曇り。六月に入ってからは森の上空を雲が覆っているようで日が高くなるまで光が射さないことが多い。また、気候が変わりやすくなり、いつの間にか木漏れ日や木々の陰がなくなって、ふっと森全体が静かになると激しい雨が降ることがある。そのようなときには、野鳥が飛散して、どこかに行ったのだろうと思う。が、彼らがどこに行ったのか、その行動は皆目わからない。

束の間の晴れ間に洗濯物を干そうとドアを開けると直径10cm以上、長さ2m位の枝がごろんと転がっていた。空を見上げてしばらく目を凝らすと一本の高木の枝が折れているのがわかった。地面にある折れた枝をみると非常にもろく、野鳥の啄んだ痕跡が同じ方向に沿って無数あった。この枝は直径では野鳥の住処にするには小さすぎるので、野鳥は昆虫を目当てにこの枝を突いていたのだろうと思った。とはいうものの、あまりに執拗な穴の痕跡に、野鳥がこの枝のもとになっている本体の木の生育を考慮して、あるいは、この枝によって森の日の当たらない部分を考慮して、さらに、いいかえると森の生態全体を考えてこの枝を突いていたのだろうか、と推測した。森の中で大きな木の枝が折れて、人の気付きやすい場所に屋根や車に当たって何かを破壊することなくごろんと転がっていた。偶然なのか、必然なのか、自然としか言いようもない枝の折れと落下であった。

また、洗濯物を干そうとすると、山荘南側の一番目立つところにいつの間にかに蜂の巣がつくられていた。あまりにあからさまな蜂の巣の有り様にあきれて、早速それを廃棄しようとした。ところが、健気に巣をつくっている女王蜂と対面したら、精巧な巣とささやかな未来の可能性に思い至りその気は失せた。それに、すでに今年は数匹の女王蜂の死を見送っているので,蜂目の動向が気になっていた。女王蜂の巣作りにとって雨露や風がしのげることがこの場所の選択にとって重要であったのだろうと思った。が、このような目立つ場所に巣をつくることによって、他の昆虫や野鳥にはどのような影響を与えることになるのだろうかとも考えた。あまりに目立つ場所につくることによって、女王蜂は人間の干渉もとりあえずは回避できたといえるのだろうか。このように考えること自体が人間のおごりなのだろうか。

—偶然、必然、自然 取捨選択




2013年6月18日火曜日

時間の音





今日は朝から曇り、ここのところすっかり気候が変わって暑いので、まだ暗い早朝から起きてしまう。それでも、野鳥は鳴いている。なんと擬音化すればよいのかわからない。目の前にある問題から解決したいと思う。


ふと外をみると、最大限の若葉が広葉樹に鈴なりに生い茂っていることに改めて驚く。以前はその抜こう側の青空が幹や枝を透かしてみえていたのに、いまはうっそうと生い茂った木々の向こうにようやく空があるといった感じになっている。びっしりとつまった葉が、一枚一枚それぞれの木々の幹さらには枝に連なっていると思うとその膨大でありながら一つ一つ着実な生み出すこと有り様に圧倒される。
この葉は、枯れ葉になって土になる。そのため、一部は堆肥になるよう別枠で保存する。どういう仕組みかわからないけれど、針葉樹の落ち葉を混合して土に寝かせておくと苔むして新たな風景をつくり出す。
また、暖炉に乾燥した落ち葉は着火剤を誘発する重宝な材料になる。暖炉には、落ち葉、小枝、牛蒡位の枝、大振りの枝、幹の順序で焼べる。燃え終わると、炭や灰がのこる。これがまた、堆肥になったり、窯作業の釉薬や触媒になったりする。小気味いいほど無駄なところがない。一つとして同じものがない多様性そのもののような森のなかで、考えても答えの出ないこと、やってみなければわからないことにあたっているのだということを強く感じた。

「自然の幽寂なるささやき」とは何か