2013年6月18日火曜日

時間の音





今日は朝から曇り、ここのところすっかり気候が変わって暑いので、まだ暗い早朝から起きてしまう。それでも、野鳥は鳴いている。なんと擬音化すればよいのかわからない。目の前にある問題から解決したいと思う。


ふと外をみると、最大限の若葉が広葉樹に鈴なりに生い茂っていることに改めて驚く。以前はその抜こう側の青空が幹や枝を透かしてみえていたのに、いまはうっそうと生い茂った木々の向こうにようやく空があるといった感じになっている。びっしりとつまった葉が、一枚一枚それぞれの木々の幹さらには枝に連なっていると思うとその膨大でありながら一つ一つ着実な生み出すこと有り様に圧倒される。
この葉は、枯れ葉になって土になる。そのため、一部は堆肥になるよう別枠で保存する。どういう仕組みかわからないけれど、針葉樹の落ち葉を混合して土に寝かせておくと苔むして新たな風景をつくり出す。
また、暖炉に乾燥した落ち葉は着火剤を誘発する重宝な材料になる。暖炉には、落ち葉、小枝、牛蒡位の枝、大振りの枝、幹の順序で焼べる。燃え終わると、炭や灰がのこる。これがまた、堆肥になったり、窯作業の釉薬や触媒になったりする。小気味いいほど無駄なところがない。一つとして同じものがない多様性そのもののような森のなかで、考えても答えの出ないこと、やってみなければわからないことにあたっているのだということを強く感じた。

「自然の幽寂なるささやき」とは何か



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