2013年7月2日火曜日

森の花鳥風月 002



今朝は深夜から目覚めたまま、気がつくと辺りに野鳥のさえずりが響いていた。霧はなく、風もない。森の遥か向こうでようやく朝日がのぼりはじめたばかりなので、びっしりと重なり合った真っ黒な幹と若葉の隙間からかろうじて白く浮かび上がる空が見えるだけである。

真っ黒な中でも、よく目を凝らすと、幹と葉、さらに木々の奥行きが理解できることが不思議だ。近くの葉は一枚一枚を確認できそうであり遠くの葉は一群の塊に見える。一方、遠くの木には密度の細かい隙間を、近くの木には密度の荒い隙間を感じ取っているようだと思った。この森では木々が密集しているので、一本の木が独立して立っている姿を思い描くことが以外に難しいことだと思った。ここ木をそのまま一本だけ描くと、幹の天辺に向かって数回分岐している幹より幾分小さな枝にそってさらにもう一段階小さな枝があってそのそれぞれの小枝を起点にさらに小さな枝があってそこから空へ展開するように若葉が一枚一枚ついている。都会の街路に一本だけで立っているのとは違って、どうも幹や枝、たぶん根でつながり合っているように思えてならない。そう考えると、とたんに一本の木の輪郭が曖昧になって、自分が森の何をみているのか、びっしりと折り重なった若葉がどっと迫ってくるような気がした。

急がしそうな野鳥から目を離すと、ぱらぱらとすでにして若葉が落ちていた。ほんの少しだけ、あたかもだれにも気付かれないように落葉していた。昨夜来の雨で既存の落ち葉は、茶褐色に変化しているので、朝露に濡れた落ちたばかりの若葉が瑞々しく目に飛び込んできた。こらから夏を迎えるというのに、もう落葉による堆肥の準備が着々と進行しているのだろうかと,驚いて慌てて写真撮影した。一年の循環過程の中で生きてきたと思っていたけれど、木々の自然な振る舞いを考えると、いかに歪な時間の使い方や仕事の仕方をしてきたのかと自分の生活を振り返った。特に、仕事の分量は、このぐらいのバランスでいいんだと肚に据えて理解しようと思った。過剰すぎることを理解し、重すぎる生活を改善したいものだと思った。

「やりすぎないこと」「毎日やること」 「マイニチ少しずつやること」




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